さんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 23:19:57)

経田さんありがとう 経田さんがいてくれたから村下さんがいた 最後の最後まで経田さんを信じていた頼りにしてね、本当にありがとうお疲れ様でした。村下さんには最高のパ−トナ−相棒でした
経田さんのバラード最高でした。もっともっと聞きたかった 経田さんがいたから夢から醒めることなくいられました。経田さんに感謝します。ステージの素敵な経田さんをもうみられないのが残念でなりません。経田さんがだいすきでした。これからもだいすきです。わたしたちはみんな経田さんのこと応援しています。がんばってください。


ナナカマドさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 22:46:34)

はじめて投稿します。
最近、ギターを始めました。
中学の頃聴いた、「夕焼けの町」が弾きたくて始めたのですが村下さんが、まさかという気持ちで一杯です。
ところで、どなたか村下さんの曲のギター楽譜の入手方法を知りませんか。
本屋さんのコーナーや楽器屋さんのコーナーにもないんです。
本になっていないのでしょうか、それともレコード会社に直接問い合わせないといけないのでしょうか。
どうしても欲しいので、知っている方ぜひ教えて下さい。
お願いします。


とんちゃんさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 22:33:05)

 毎日仕事から帰って、この時間にBBSを見ているけど、日に日に「前向きな」書き込みが増えてきて私も一安心です。 いつまでもくよくよしてられませんよね!
 「五月雨忌」と「同窓会の日」のアイディア、私も大賛成です。 これほどぴったりの名前はないと思います。 後は、毎年どう過ごすかですね。
 それと「ニュー・アルバム」の話ですが、毎日村下さんの歌声を聴いていると、なんだかまだどこかにいそうで、亡くなったという実感が不思議と沸かないのですねー。
 そこで、こう考える事にしました。 「亡くなった」のではない、「引退したんだ」・・・と。
 だから最後の「ニュー・アルバム」は、追悼盤でなく、「引退記念盤」なんだと思い、最後のメッセージを受け取ろう、と考えています。
 でも、最後に音入れした曲(タイトル忘れました・・・)聴いたらまた涙が出るんだろうな…

SWEET HOMEまさひこさんへ・・・
 献花式の詳報をアップして頂いて本当にありがとうございました。
 渋谷公会堂には、行った事ないけど、会場の様子が目に見えるように判り、行けなかった私も参加できたような気がします。 そして、砂の男さん同様、メッセージを持って行っていただいたのですね。 我々地方のファンのメッセージも無事に村下さんのもとに届けられて私もほっとしています。 ありがとうございました。 今度は、(いつになるか判りませんが…)ぜひお会いしたいですね!


niceさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 22:17:03)

申し訳ありません
最後一行が抜けていたようです。
私のメールアドレスは以下の通りです。
でも、村下さんの歌を日本人の心の歌にするっていうのは、
いいですよね。
私もなんかがんばらないと。

      nice-n@mail2.netwave.or.jp 


niceさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 22:11:49)

こんばんわ,niceです。

パソコンを買って1年足らず,インターネットをし始めてまだ数ヶ月にしかなりません
このホームページを知ったのも,つい最近のことでした。
そしてこんなことが起こってから書き込みを始めようとは・・・

私が知っている村下さんのことを少し。

「ひとりベンチャーズ」,ありましたね。
FMの深夜放送,(たしか杉真理さんの番組でしたか、しかし記憶曖昧)に村下さんが出演されたとき,「特技なんです」といって,演奏されたと思います。時間にして1分ていどでしょう。そのとき『恋文』からの曲が多かったので,おそらく1988年のことだと思います。

コンサートでの握手会、村下さんの手は思ったより小さくて,肉厚でした。「がんばってください」と,ありきたりのことしか言えなかった私に、にっこり笑って、先に手をさしのべてくれました。

1991年3月、広島でのコンサートで村下さんは「駄目な男」を歌いきることができず,「すみません」をくり返していました。2番の途中から涙で声が出なくなっていたんです。曲が終わって村下さんは,「今度はこの曲を歌える男になって皆さんの前に立ちたい」と言ってましたっけ。
一曲に込められたその想い,上手く歌いはされませんでしたが,十分に伝わってきました。

などなど,書き出すときりがありません。でも書くことで少し落ち着くものですね。

砂の男さんはじめ,ここに集った皆さんへ。

私の提案を真剣に取り上げていただいて,本当にありがとうございます。
以下長くはなりますが,私の考えを述べさせていただきます。

たしかに,村下孝蔵さんのご命日を「〜忌」とし、またその言葉で村下さんに固定したイメージをつけてしまうのには違和感をもたれる方もいらしゃるでしょう。
しかしやはり大きな意味があると思うのです。それは「6/24」という日には、村下さんがこの世に存在したことを永遠に知らせつづける力があるということです。
私達は村下さんを知っています。どんな歌をうたい,どんな人柄であったか。一年のうちに特別の区切りとなる日を設けなくとも,いつでも思い出せます。
しかし村下孝蔵という人を知らない人々はどうでしょうか? また,今生まれていない子どもたちには,知る機会があるでしょうか。

 これは私の想像です。
今年生まれた赤ん坊が、十数年経って中学生になり、淡い恋を経験したとします。自分の想いをどう打ち明けたらいいのか・・・ そのときラジオのFMから流れてくる『初恋』。6月24日、「五月雨忌」(紫陽花忌、でしょうか。ここは仮に「さみだれ」としましょう)で、番組では村下孝蔵特集が組まれていました。その子は今の自分の気持ちを言い表したその曲が、『初恋』だと知りました。さらに数年経ち、大人の恋愛をし、恋に破れ、そのとき有線から『ゆうこ』が流れてきます。6月24日でした。ファンの誰かがリクエストしたのでしょう、続けて『初恋』が・・・。女性は少女の頃を、青年は少年期の自分を思い出します。
 「さみだれは〜、み〜どりいろ〜
今日は「五月雨忌」、村下孝蔵という歌手が亡くなった日だと、知りました。

 50年経って、新聞やテレビの「今日は何の日?」で取り上げられるだけになってたとしても、それをきっかけに「村下孝蔵って誰? 歌手? ふ〜ん、一回聴いてみようか」 となる可能性は残せると思うんですが。たった、それは一年に一回のことになるのかも知れませんが。

 私の想像は前提条件が悲観的すぎる、といわれるかも知れません。「村下孝蔵」はこれから一部の人の記憶にのみ残され、世代が変わったら忘れ去られるかもしれない、って言っているのと同じですから。
しかし今の音楽業界を見るに付け、亡くなった村下さんにあらためてスポットを与えようという動きがあるとは、期待しきれません。いつか見直され、正当な評価がなされるまで、名前が残っていくように何か僕にできることはないか、そう考えてのことでした。こういうことを、できたらみなさんで考えて欲しかったから、ひとつの方法として提案したんです。

 だからこれはいま生きているファンのためじゃないんですね。もちろん私個人の自己満足のためでもありません。未来のファンのため、「こんな人がいたんだよ、こんな曲を書き、こんな歌をうたってたんだよ」という語りかけをしたいために、なんです。未知なる人が「村下孝蔵」を知るひとつのきっかけは何か? これを考えた結果なんです。

 提案に至る私の気持ち、おわかりいただけたでしょうか?
私のメールアドレスを書いておきます。この件でのご不満・ご批判は、私のところまでお寄せください。
そしてもうひとつ。もし村下さんのご命日についてどんな案が大きくなってきても、少なくとも礼儀として、ご遺族の方、および故人の関係者の方々への報告は欠かせないですし、そう名付けることへの了承はいただく必要があると考えます。
この点どうでしょうか?

長くなりました。読んでくださった方、ありがとうございました。

                           


IZUMIさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 21:51:31)

こんばんは。
久しぶりに覗いてみました。
「サンデーモーニング」の話にはびっくりでした。
思うのですが,いい歌って何度でも流行ります。
それはものすごいヒットではないかもしれないけれど,
そのときその歌に心ひかれる人が確かにいると言うことです。
たとえばその歌の気持ちが分かる年代になったとか,
同じ境遇とか・・・・急に懐かしくなったとかいろいろです。
それは大々ヒットではあり得なくて,
少しずつ心に染み渡る歌じゃないとなり得ません。
たとえば「フレンズ」リバイバルしていますが,
それを知らない年代が「あ,いいな」と思い,
昔聞いた人も又「やっぱいいいな」って思うからです。
村下さんの歌はそんな感じでずっとみんなの心の中でヒットし続けると思います。
村下さんが亡くなられて「初恋」を思い出し,やっぱりいいと思った。
だからランクインされたのだと思います。
だって「初恋」聞いたら,そう思うじゃないですか。
歌はいっぱいあり過ぎてこれが一番ってなかなか選べないです。
でもそのときの自分の気持ち,そして社会情勢が影響してきます。
村下さんが亡くなられて,以前聞いた「初恋」がいいって思うのは
とても自然なことと思います。
少し生意気でしたね。
私もリアルタイムでそれを見ていたら抗議の電話をしたことでしょう。
太さんのママ,かっこいいです。
では又


SWEET HOME まさひこさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 20:34:56)

(時間が少し経っていますが、ようやく一息つきましたので、書ける範囲でお返事をさせていただきたいと思います。)

>7/2「とんちゃん」さん、7/3「ひろりん@大阪」さん、「プー林」さん、「石川健一郎」さん、7/4「じゅんや」さん、「G-CLEF」さん、「洸智」さん、「ジャッキー」さん、「太くんのママ」さん、「けん」さん、「ちゃこ」さん へ

行けなかった皆さんの分まで、僭越ながら私なりに思いを届けてきました。
7/2、NACK5の放送が終了してから、持って帰った6/24からの取り出せた全てのメールを通して読みました。
そうすれば、他に行けない方も含め少しでも皆さんの思いを自分の中に取り込むことができ、会場に届けられる様な気がしましたので・・・。

>7/2「いさな@静岡」さんへ
短冊、メッセージ用紙、そして数々の配慮、ソニーさん(運営側)の気がとても利いていましたよね。

>7/3「Larscya」さん、7/4「札幌より失礼します」さん へ
1曲でも、1か月でも、孝蔵さんのことを知ってよかったと思えるのなら、とても素晴らしいことではないでしょうか。

>7/3「ファニー」さんへ
とんでもございません。それより、体調、大丈夫でしょうか。当日は行けたのでしょうか。

>7/3「赤堀大輔」さんへ
白地に青文字のSWEET HOMEのTシャツ、気付かれましたでしょうか?
(前回のお返事で、名前を間違えてしまいました。大変失礼いたしました。)

>7/3「ふみ坊」さん、「apo」さん へ
スタッフや関係者の対応や心遣い、私も素晴らしかったと思います。感謝の気持ちで一杯です。

>7/3「ちゃこ」さんへ
当日の内容、大変長くなってしまいましたが、ある程度様子が伝わりましたでしょうか。
(7/5月22:11:32と7/6火10:15:40の2回に分けてご報告しました。現時点では、7/5の分は検索できない時間帯に入っているようですが、これまでの動向からすれば、明日の日中にはまた見られるのでは、と思います。)

>7/4「ASS」さんへ
RCCの「村下孝蔵 青春のうた」の詳細内容、ありがとうございます。
読みながら、放送が聞こえてくるような気がしました。

>7/4、6「鉄道員」さんへ
閉会の様子は、今朝の書込みの通り、円満に終了しました。

>7/5「ニアキスのママ」さんへ
私もお会いできてよかったです。早く笑顔で孝蔵さんの話をしたり歌が聴けるようになってくださいね。

>7/3〜5「砂の男」さんへ
改めてですが、皆さんの24からのメールを立派なファンのメッセージ集に製本されたこと、感動するとともに感謝の念で一杯です。
これ以上無理せず、早く体調を戻してください。
※ 補足 ※ メールのメッセージ集は、厚手の光沢紙のカバーで、表紙には6/24〜7/3の村下孝蔵’sBBSのメール集の旨のタイトルと、中央部にはアルバム「初恋〜浅き夢みし〜」の切り絵が取り込まれていました。

>7/6「よしこ」さんへ
読破?いただき、ありがとうございます。少しでもお役に立てたのであれば、何よりです。(でも、やはり長すぎたかな・・・)

>7/6「上野 未懲」さんへ
テレビ朝日が来ていました。ニュース等として既に放送されたのかは分かりませんが、今後の追悼番組目的の取材であればいいんですけどね。


さんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 18:02:46)

はじめまして、京と申します。名古屋の大学生です。村下さんが亡くなられて早二週間になろうとしていますが、
未だに信じたくない、というのが本音です。中学の頃から村下さんの歌が大好きで、好んで聞いていました。いつか
コンサ−トに行くのだと思っていたのに、こんな事になって本当に悔やまれます。
生憎と授業があり、葬式にも、献花式にも参列出来ず、ただ祈る事しかできませんでした。
想いが届く事を願います。
今、アルバイト先の社員さんに「村下孝蔵追悼フェア」をお願いしている最中です。
一人でも多くの方に村下さんの歌を聴いて戴きたいです。
では、つたない文章ですが。また。 かしこ。


砂の男さんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 18:01:09)

>よしこさん、ねづっちさんへ
賛成して下さるのは大変嬉しい限りですが、
あくまでも、提案はniceさんで、『五月雨忌』は、しゃぼん玉さんです。
それと、「会は旧字体」の案はひろみさんです。

よろしくおねがいします。

niceさん、ごめんなさいm(__)m


ねづっちさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 16:12:45)

3日振りの登場(それも懲りずに会社から^^;)です。

>SWEET HOMEまさひこ さん

献花式の詳細レポートどうもです。諸事情で1時間程度しか会場には居られなかったのですが、他
にお見えになった皆さんの事や、閉場の際の話など....ありがとうございました。

>砂の男 さん

BBSのプリントアウトの作業、どうもお疲れさまでした。それと、当日の曲目リストアップ、あ
りがとうございました。

とてつもなく絶妙な選曲だったんですね。チケットを取っていなかった身として言うのも図々しい
ですが^^;、本当に生で聞きたかったラインナップですよね。「稚内から」は91年のクリスマスコン
サートツアーで聴けましたが、「ねがい」や「北斗七星」があったとは....

『五月雨忌』『同窓會の日』、私も賛成です。

>TATTOOさん

>>ところで、追悼アルバムってのはもうやめにして、
>>ここでは、「ニューアルバム」って呼びましょうや。
そですね。ニューアルバムというよりも村下さんのデビュー20周年記念盤という方がふさわし
いかも知れませんね。

デビュー10周年記念が『野菊よ 僕は…』そして15周年が『林檎と檸檬』。どちらも切り絵
ジャケットでしたね。今度の『同窓會』のジャケットは、献花式でソニーから頒布されたチラシ
の切り絵になるのかな?!

そう言えば、昨日付けのオリコンアルバムチャートの96位が『林檎と檸檬』でした。91年5月
に『新日本紀行』がチャートインして以来のチャートインなんですが、喜んでいいのか悲しんで
いいのか....『同窓會』は何が何でもチャートインして欲しいですね。


シンノスケさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 16:07:39)

初めて書きます。
村下孝蔵さんが亡くなられた日、たまたま川中美幸さんの「人、歌、心」というラジオの番組で村下さんの声を聞きました。
そこで「初恋」がかかったんですけど、バイト中で、車から降りなければならなかったので途中までしか聞けず、残念に思っていたところ、この事態。
最後に声が聞けたことがせめてもの慰めでした。
僕は中学生のときに「陽だまり」を聞いて村下さんを知りました。
そしてちょうどそのときに初恋を経験し、「初恋」を毎日聞いておりました。
なんともベタな話ですが、本当に思い出の歌です。
それから村下さんの曲をたくさん聞きました。
最近ベストを作ろうって思ってましたんで、気合いれていいやつつくるつもりです。
>TATOOさんへ
いいですね、ニューアルバム。
最近亡くなられた方といえばジャイアント馬場さんもいらっしゃいますけど、この方、ファンからは亡くなったのではなく、「引退」したって言われてるんですよね。
生涯現役であった偉大なレスラーは今リングを降りた。
それと一緒で、村下さんもここでマイクを置いたと。
そう考えるのもいいかもしれません。

以上長々と失礼しました。


上野 未懲さんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 15:11:56)

>SWEET HOME まさひこ様
済みません、見落としがあったようで。TV朝日が来てたのですか。


上野 未懲さんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 15:03:23)

二度目の書き込みです。
皆様に2件ほど提案なのですが。

1.村下さんを「驚きももの木20世紀」で、
  加山雄三・渡辺真知子・グッチ裕三らをゲストに呼んで
  取り上げて貰う。

2.「この国に生まれてよかった」を「日本市民の歌」として
  広める。

1.は、当初「知ってるつもり!?」という選択肢もあったのですが、
ダメダメだねってことでこうしました。関口宏が「実はヤな奴」と言うか、
「デリカシーに欠けるエロオヤジ」と言うのは『TVブロス』辺りでは
周知の事実だったので、特に驚きはしませんでしたが。
それより、献花式の様子が出ないかと、月曜日のワイドショーのチェックを
妹に頼んで、自分でも昼休みに見てたりしてたのですが、裕次郎と
安室に食われて?全く出た形跡が無いのには失望しましたね。
野村沙知代で潰す時間の1000分の一でも良いから
出して欲しかったのですが。

2.は別に「君が代」と張り合おうとまでは言いませんが、
(「美しい君の国」の「君」を天皇と解釈されるのはちょっと…)
大勢で集まった時に歌う歌として広めていったらどうかと思うのは
私だけでしょうか。来世紀以降に残すのに「初恋」だけでは
不足だと言うのであれば。

ところで「女優’90」って同年当時カラオケに入ってたように
思うのですが、京阪神で現存しているという情報があればご一報
下さいませんでしょうか。

以上、何だか生臭い事ばかり書いてしまいましたが、
「村下孝蔵?誰それ?」という人が圧倒的に多い現状では、
その辺から始めたくなるのです。ではまた。

http://www.wombat.or.jp/teru-mako/gate.html


よしこさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 13:50:31)

 >SWEET HOME まさひこさん
 
 たったいま、あなたの情景の浮かぶすばらしい文を読み終えました。
 最後までいることができなかった事が悔やまれましたが、あなたの文を読み
 心が安らぎました。
 
 >「本日は村下孝蔵のお別れ会にお越しいただき、ありがとうございました。
   ・・・これからも21世紀に残る歌として、皆さんと共に力を合せて残していきましょう」
  
 アナウンスの言葉、そのとうりですね! 
 これからは、私達ファンが村下さんんの歌を守り、残していかなければなりませんね。
 
 >太くんのママさん

 くだらない年寄りや、TV局のことは相手にしません!時間がもったいないです。
 (腹がたったけど!)
 ファンができること、それは村下さんを愛し続けること、歌を伝えていくことですよね!
 
 >砂の男さん
  
 「五月雨忌」と「同窓會の日」は、大賛成です!
 村下さんも喜んでくださるのではと思います。
 
 あと、提案なのですが...
 どこかビデオなどの機材のある、視聴覚室のような部屋を借りて、みんなでいままでの
 ラジオや、ライブステージを見聞きするのは、どうでしょうか?
 著作、放送権料などのこともありますが、金銭授受はもちろん無しで
 あくまでファンどうしの交流会として、良い歌を聞くというのは...
 いろいろと、難しいでしょうか?

 ず〜と、ビデオの「たなばたコンサート」を見ています。
 御希望の方には、ダビングも考えていますが、もっと広くみんなで村下さんに逢えるには
 歌を伝えるには、場を考えないと...と、思ったものですから...  
  


鉄道員さんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 13:22:15)

 SWEET HOME まさひこ様、詳細なレポートを有り難うございます。少し心配だったので安心しました(つい物事を悪い方へ考えてしまいがちなので…)。
 あと、先日書き込んだチラシと色紙の事で、早速お電話を頂きました。こんなに早く連絡を頂けるとは思いもしませんでした。とても嬉しいです。という訳で、最初に電話を頂いた方にお贈りします。私の書き込みを見て関心を持たれた皆様、本当に有り難うございました。


SWEET HOME まさひこさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 10:15:40)

7/5月22:11:32の書込みの続き、「七夕コンサート」の模様をご報告いたします。
なお、初めに昨日書いた文の補足をさせてください。

【場内・ホール入場前】
中央右側には、孝蔵さんのパネル写真(横長)が飾られていました。
写真を撮られている方も結構いらっしゃいました。
【場内・ホール退場後・廊下】
写真やジャケットは扉を出て右側の壁に飾られていました。(左側は通路として空けられていました)
【場内・ホール退場後・出口前】
ホール内の最前列で短冊が括り付けられた笹の木が舞台両奥に飾られた後に書かれた短冊は、
「場内・ホール入場前」にも書きました笹の木(2本)に飾り付けられました。
(それから、チラシの部分で「CBS・・・」と旧レーベル名を使ってしまい、失礼しました)

それでは、続きに入ります。

【会場の外・その1】
開場後も人足はそこそこあり、チケットがある方はそのまま会場へ入り、
ないと思われる方は左手のひさしの下に集まってきました。
2時半頃になるとチケットのある方の入場も落ち着き出し、
ひさしの下で待つ人は7〜80人くらいに増えてきました(それぐらいいたと思うのですが・・・)
そんな状況を見てか、係員の方が状況を大きな声で説明してくれました。
「只今、チケットのある方のみ入場させていただいております。
チケットのない方でも入れますが、もう少々お待ちください」、と。
これを聞いてチケットを持たずに待っていた人たちからもホッとしたような雰囲気となりました。
そして、それから10分もするかしないうちに
「只今から、チケットのない方の入場を行いますので、正面のところから2列になってお並びください」
ということになり、ほどなく誰でも孝蔵さんへの思いのある方は入場できるようになりました。

(私も30分ほど入場させていただきました;私の目印にすると言っていました SWEET HOME のTシャツを
掲げていましたが、「ねづっち」さんが見つけてくれてご一緒させていただきました)

【会場の外・その2】
3時過ぎに出てきてみると、雨はやんでいてうっすら陽が射し始めていました。
そして、左にある区民館?と公会堂の間の渡り廊下のところでは、
20名ほどの人が集まり、孝蔵さんの歌をギターで弾き、合唱が行われていました。
出口から出てきた殆どの方もその歌に引き寄せられるように
遠慮がちに聴いたり覗き込んだり、そのままその輪の中に入っていったりしました。

(私は、ちょっと離れたところで再び SWEET HOME のTシャツを掲げていました。
雨が上がったお陰で傘も差さずに少し見通しの良いところに立つことができ、
最終的には昨日の朝に書込みました方々にお会いすることができました。)

合唱の輪で何曲かが歌われると、予めスタンバイしていたと思われるテレビ朝日の取材クルー4,5名が
カメラとインタビューマイクを持ってその輪に向かって取材をし始めました。
詳しいやり取りは分かりませんでしたが、5分ほど行っていました。
その後、公会堂の全景を撮影したり、しばらく待機して人の波が落ち着いた時間に会場内の取材をしていきました。
(私見ですが、ちょっと残念だったのはその取材がややミーハー的な感じがしたことです。
直接話を聞かれたりしたわけではないので誤解かもしれませんが、合唱の輪の取材の「勢い」も端からはそんな感じがしましたし、
終わった後も私の側を通るときにスタッフ間でキャッキャッ騒ぎながら
「村下孝蔵って知っていた?」「知らないよ」「年、いくつ?」「××」「じゃ、知らないよな、俺でも知らない・・・」
個々のそうした感想は、せめて会場を離れてファンがいないところでして欲しかったと思いました。)

3時から5時くらいの間は、雨が上がっていたこともあり、
終わって出てくる人、これから入る人が公会堂の前の広場で交流し、
あちらこちらでいろいろな思いの話の輪が広がりました。

【会場の外・その3】
5時を過ぎる頃には新たに来場される人もかなり減ってきました。
そして夕闇が迫り始めると、またポツポツと雨が落ちてきました。
この時間まで残っている人の中には、もう一度入場される方もいました。
(私も6時半過ぎに、係員の方にお願いしてもう一度入らせていただきました。
入れるかどうか尋ねたとき、本来は・・・という感じでしたが、それ以上のことは言われずに入れてくださいました。
本当にありがとうございました。)

【閉会】
中に入ると、その場から立ち去れない方が100名以上、流れてくる歌を静かに聴いていました。
そして穏やかに時が流れ、7時となりました。
流れていた歌が終了すると、陰の声(男性)が流れてきました。
正確には覚えていませんが、次のような趣旨でした。
「本日は村下孝蔵のお別れ会にお越しいただき、ありがとうございました。
・・・・・これからも21世紀に残る歌として、皆さんと共に力を合せて残していきましょう」

力強い言葉で締め括られた後、一般的なBGMが流れてきました。
しかし、殆どの方が動こうとしません、いや、動けませんでした。
ある年配の女性の方が「初恋を流してください!」と大きな声を上げられました。
5分ほどして流れていたBGMが終わると、しばしの間を置き、
同じBGMが流れてきました。
しかし、人の動きは止まったままでした。
今度は年配の男性の方も同じような声を上げました。
2回目のBGMが終わると、そっと舞台の照明が落とされました。
「皆さん、一緒に歌ってください」ともう一度声が飛びましたが、
暗くなる舞台を見て、少しずつ出口に人が向かい、閉会となりました。
7時15分になっていました。
(いろいろな思いが人それぞれにあると思いますが、閉会の誘導で動かないファンたちに対して
係員・運営側からは一言も「終わりです」「退場してください」というようなことを言われなかったこと、
この配慮に私はとても嬉しく思いました。2回目のBGM、そして照明の落としで暗に
「どうか静かにお帰りください;会場・運営側の都合も分かってください」と伝えているようであり、
こんなところにも孝蔵さんのお人柄が反映されていると思いました。)

【閉会後】
会場の外は既に夜となっていました。
雨も小降りながらしとしと降っていました。
7時半前には入口に立てられていた立看板が片づけられ、
入口・出口の扉が閉まり、
程なく屋外用の照明も落とされました。
渋谷公会堂の広場にある時計は、7時40分になろうとしていました。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
以上、昨日夜と2回に分けてとなりましたが、7/3「七夕コンサート」の模様を私なりにご報告させていただきました。
超超長い書込みとなりましたが、来られなかった方々に少しでも情景が思い浮かべられるように、という思いで、
私の思い出せる限りをご報告させていただきましたので、どうかご理解ください。
また、極力客観的な内容にとどめたつもりですが、話のつながりなども考えまして、
ある程度個人的な部分が入ってしまいましたことをお詫びいたします。


TATTOOさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 8:42:48)

おはようございます。

ところで、追悼アルバムってのはもうやめにして、
ここでは、「ニューアルバム」って呼びましょうや。

ダメ?


のびさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 7:08:22)

こんにちは。
2度目の書きこみになります。

>砂の男さん
BBSを製本までして下さってありがとうございました。
書きこんだみなさんの思いは、きっと村下さんに届いていると思います。
私も献花式には参加したのですが、BBS・メーリングリストの方々にはお会いすることができなかったのが、残念でした。

>6/24・ご命日は『五月雨忌』
>7/3・お別れ会は『同窓會の日』
>にしましょう!
素晴らしいと思います!
私もniceさんのご提案があってから、あれこれ、ない知恵を振り絞ってみたのですが、
なかなか思い浮かばず、自分の文才のなさを嘆いていたところでした。(^^;


キッシー(代理書き込み・砂の男)さんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 2:24:11)

はじめて、お便りします。
村下さんのご急逝には心から哀悼の意を表します。
いろんな方が、彼の命日に固有名詞を冠しようとされておられますが、村下さんの歌
のイメージとこの時期の感覚とを結びあわせると「紫陽花忌」というのがふさわしい
のではと思います。でも、こんなことを考えていること自体悲しいことです。
 niceさんとおっしゃる方が提起されておられましたので、メールをしようと思いま
したが、できませんでしたので。
 ニューヨークより、ご冥福を祈りつつ。
                           キッシー 


砂の男さんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 1:40:59)

>じゅんやさんへ
こんばんは、そしてはじめまして
奥様の具合いかがですか?

>>そして砂の男さんのアイデア
>>『五月雨忌』『同窓會の日』・・・・
ですが、『五月雨忌』は、しゃぼん玉さんのアイデアですので誤解のないように。

どうやら僕の書き込み方がいけなかったみたいですね。

提案はniceさんで、『五月雨忌』は、しゃぼん玉さんです。
それと、「会は旧字体」の案はひろみさんです。

>>MDを作成しました。
時間計算したら2時間になってしまいましたね。
2枚組ですか?

>>それにしても生で「稚内にて」聴きたかったな・・・
今回の七夕が幻でなければ聴けたのに...
ちなみに僕の好きな歌の1つです。
いちばん好きなのは『ロマンスカー』です...


じゅんやさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 1:35:24)

 すみません・・先の僕のメッセージにおかしなところがありましたね。
ネーミングの件は砂の男さん、ひろみさん、しゃぼん玉さん達と書くべきでした。
お詫びして訂正します。メッセージの一部が読めなかったためとんちんかんな
ことを書いてしまいました。\(__ )


太くんのママさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 1:33:50)

自分が口火を切ってしまったこととは言え関口さんの件がこんなに波紋を呼んでいたとは知りませんでした。TVを見て同じように不快感を抱いた人たちだけでなく、これを見て知って嫌な思いをさせてしまった人もたくさんいるようで申し訳ありません。
実は、あの後もずっと私の中にはわだかまりがありました。
ところが、今日そのわだかまりを消してくれた人がいました。その報告をしようとこのページをまた開いた所でした。
わだかまりを消してくれた人とは村下さんでした。歌人VOL・1のパンフレットが引越しの荷解きをしていると偶然出てきました。その中に、彼の言葉で「時代が変えちゃいけないものがある」「時には、誰の心にもある懐かしい画面を歌いたい」とありました。それを見たとき人がいる限り続く不変の想いを歌っていたのだ、だから何世紀とか言う次元ではなかったのではと素直に納得してしまいました。
すると、あの番組のことを彼が聞いたら・・・きっと「僕よりすごい人やたくさん良い歌があるのだから関口さんにそう言われても仕方ないですね。でも、選んでもらえて嬉しですね。」と一寸照れくさそうに笑うような気がしてしまいました。
そう思ったらとてもすっきりしてしまいました。
私は村下さんと関口さんは面識が無かったのかと思ってたのですが面識があったというならなおさらです。
始めにも書きましたが嫌な思いをさせてしまった人たちには本当に申し訳ありませんでした。
それだけ思い入れが強かったのかと許して下さい。


じゅんやさんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 1:17:35)

こんばんは、じゅんやです。

niceさん、素敵な提案ありがとうございます。
そして砂の男さんのアイデア
『五月雨忌』『同窓會の日』・・・・
いいですね。ここに集う僕たちが孝蔵兄貴のことを忘れる訳がないのだけれど
やはり、そういう日があればいいですね・・・。
まだ彼の事を知らない人たちへのアピールにもなりそうな気もするし、
僕は賛成ですよ。

サンデーモーニングのことですが、無視しませんか?
実は僕も抗議の電話をした一人なのですが、全く無視されて
憤りを覚えています。
 でも冷静に考えれば、何も僕たちが関口氏のレベルに合わ
せて不毛な争いをすることはなんいだし、それは孝蔵兄貴の
望む事じゃあないはずだし・・・。
このごろ何をするんでも「孝蔵兄貴だったらどうするか」と
考える事が増えました。本当に彼の存在の大きさをあらためて
痛感しています・・・。

北海道ローカルですが・・・・
太くんのママさん、絶対にコンサートでお会いしてますね。
札幌より失礼しますさん、これからもどんどんのめり込んでください。
北海道は孝蔵兄貴の大好きな場所でしたものね。
それにしても生で「稚内にて」聴きたかったな・・・

幻の七夕コンサートの曲順の
MDを作成しました。砂の男さん情報ありがとうございました。
でも作成の段階であれほど涙が出るなら絶対に車の中では聴けないな・・・

                         じゅんや


プー林さんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 0:28:31)

七夕コンサートに行かれた皆さん、詳細なレポートをありがとうございました。7月3日、福岡は今にも泣き出しそうな曇り空。降りそうで、降らず・・・それはまるで村下さんが「男だろ、泣くな!」と言ってくれたおかげで、空が涙をこらえているようでした。
遥かな空の下で、仕事をしながら思いを馳せました。きっと同じ思いをしているファンの方々の分まで、出席された皆さんが思いを届けてくれたと思います。本当にありがとうございました。
仕事と距離に阻まれて、一生に一度しかない村下さんとの別れの場に立ち会えなかった僕ですが、これからもちょくちょくここに遊びに来てもよろしいでしょうか?
今年の梅雨は、やりきれない想いの雨、雨、雨・・・。空はやっと晴れたけど、心の梅雨明け、まだ遠く。


砂の男さんからのメッセージ (1999年 7月 6日 火曜日 0:16:17)

>niceさんへ
こんばんわ、そして始めまして。
素敵な提案ありがとうございます。

そこで決定!!

6/24・ご命日は『五月雨忌』
7/3・お別れ会は『同窓會の日』

にしましょう! って、勝手に決めてすみません...(niceさんごめんなさい...)


このBBSを見ている全国のファンの方々、匿名でいいですからお返事お願いします。